母が認知症になったら? かくれ認知症の母と私の確執
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認知症予防のためにも、老後には会話の相手が必要
毎日が早いので、毎月が早い。そして1年が早いです。
父が亡くなって母がひとりになり、母と一対一で話すようになってから確執がある…とか言っている間に、母は、とても歳をとり私も歳をとりました。
確執が…と言ってゴチャゴチャ悩んでいる間がなくなってしまいました。
母は、弟夫婦と同居はしていますが、普段はひとりです。
雑談をする話し相手のない母には、会話が必要になりました。
人は会話をしないといけないんですね。あらためて人との関わりを考え直しました。はたして、この先、歳をとり、私が、おひとり様になったとして老後に会話できる人は何人いるのでしょうか?
私は、産後すぐに祖母に育てられた
私の母は、自分の母親を産後の高血圧症で10歳の時に亡くしています。
それは実は遺伝性の妊娠中毒症で、私を出産した後、入院していた母の代わりに私は、祖母に育てられました。
母が退院した頃は、赤ちゃんの私は、小さいのと病弱で、やっと退院した母の手に負えず、祖母が育ててくれました。といっても家の中では、ずっと一緒にいたのですから問題はありませんでした。
大きくなって22歳で祖母が亡くなり、その後、結婚して、それからは、父、母が頼りでした。父は優しく心の広い人で、やはり祖母に似ていたように思います。
母も私も、その父の庇護の中で包まれて幸せな母娘でした。しかしお産の話を聞かされるたび、同じ経験をした私は、お産は怖いとしか心に残っていません。
卑下しやすい母の性格
母との確執、私の場合は主に考え方の違いです。
例えば、母は結構、博識ですが、10歳の時に自分の母を亡くしているので、姉妹弟に代わり、家のことを取り仕切っていたことから、思うように学校に通えなかったので、自分のことを卑下して言います。
それから人と比べて話をします。
自分の健康と知り合いの健康比べ、孫比べ、親戚の話から近所の話。
それには、相当うんざりします。
地域性や、親戚が近くにたくさんいることや、母親がいなくて苦労したことも関係があると思いますが、知らない人の話を延々と聞かされるのは、しんどいものです。
私と異なる、幼少の妹の感じ方
ある日、2つ年下の妹にこの齢になって「私はおばあちゃん子やから、母のことはわからん」と言うと「私もおばあちゃん子やからなぁ~」と言うのです。
ええっ!
私からすれば、妹は良くも悪くも母の愛情を受けて、母から抑えつけられて生きてきたように思うので、ただただ驚きました。
妹は、高校生になるまで身体が弱く、食が細くて、体も細く、ほとんど学校の行事には参加できず、いつも病院通いをしていました。
家族の旅行や親戚同士で行く旅行の時も、青い顔をして寝ながら引きずられていくような子供で、いつも妹の体調が悪くなると、夜中の面倒は私の役目でした。
その妹が、おばあちゃん子?
現在の妹は、いつのまにか強くなり
なるほど、と初めてがてんがいきました。
おばあちゃんと日常を過ごし、母からの圧力を受けて、ふたりの間で妹は苦しんでいた被害者なのかもわかりません。
心が広く明るくて包容力があり人と垣根のなかった祖母と、昔は、勘が強く、気が強く、負けん気が強く完璧を求めていた母との間で、戸惑っていたのでしょう。
その証拠に、妹は結婚して家を出るまで母と大ゲンカをしていたものです。
しかし、離れたところに嫁いで両親に寂しい思いをさせたのも妹でした。
最近、私が母とのことで悩んだ時に妹に頼り思うことは、妹は、祖母と母の両面の良いところを吸収して生きているのではないか? と気付いたことです。
病弱な中で、育ったくせに現在の生き方は、堂々としていて、どっしりと、構えたところがあるからです。
私自身、なぜか義母に似てきた
振り返ってみると、やはり人には個性があり、祖母、母、私、妹、それぞれが持っているものが違い、似ているところもあるのですが「やはり違うなぁ~」とあらためて思うのです。
祖母が好きで育った私ですが、結婚してからは、義母の影響を自然と受けているような気がします。
結婚したのですから、夫の考え方が浸透してくるのはわかりますが、知らず知らずのうちに同居していない義母の考えと同じところがあるので不思議なものです。
義母と夫の確執
夫から見た、義母の視点と私から見た義母は違います。
夫は自分と母との距離を大きく離して付き合っています。
それもある種の確執かもわかりません。
甘えさせて育てなかった義母、甘えることが下手な夫、子育てとは本当に難しいものです。
娘がいなくて息子と距離がある義母は、人生をさっぱりと生きています。
娘がいなくて、そんな息子ですからプレゼントやイベントとは、トンと縁がなく、息子を頼らずに、しっかりと根を張って生きているように私からは見えます。
その生き方は、また私のお手本でもあると思います。
そして夫は有り難いことに私の母と仲良しです。不思議なものです。義母は、寂しくはないのかな? と思いながら、最近は、まめに電話をして夫と話しをするように仕向けています。
旦那も、ええかげん大人になってくれ
義母は、私とはよく会話をしてくれ、もし自分になにかがあったらの場合も話をしてくれますが、私は、今は、はぐらかしています。
高齢になってくると何だか、話の内容が真に迫ってきて、その話を聞くのは夫の役目だと思うのです。
そんな話の内容を、私の母の場合になると「縁起が悪い」と一蹴されます。「長生きはしたくないし、死んだら好きなように、段取りをしてくれたらいい」と言います。
今は、もう生前整理の話など無理になりました。
母は「いつ死んでもかまわない」と言いながら、子供の頃に亡くなった自分の母や急死した祖母を思い怖いのだと思います。
みんな本当は怖い。
しかし人は、いつ何時何が起こるのかわかりません。一言でも思いを託すことは必要ではないか? と私は思うのですが母はそうではありません。すべては、でき愛する息子、すなわち弟に任せようと思っているのです。不思議な話です。
母と妹の間にも、確執が?
母と何らかの確執をもっていると思われる妹は、兵庫県の山の中に嫁ぎ、地元の堺という地域を忘れて、どっぷりとその土地の人となり生活しています。
子供の頃によわよわしかった様は、高校生活とともに一変して、短大、OL時代には、しゃきしゃき感とバリバリ感を出してすくっと嫁いでしまいました。
そしてその後は、ゆっくりと母と会話する時間もなく今日に至っていると思います。
母から見える妹は、いつまでたっても身体が弱くて気の強い姿でしかないと思います。妹から電話がかかれば、妹の話を聞いて、説教しています。いやいや、母よ。妹は母よりも、私よりも強いのだよと言ってみたくなります。
かくれ認知症?
これからの母の老いにじっくり付き合っていくのは、私や周りの人みんなですが、娘としては気が気ではありません。先日、かかりつけの医院で、母が認知症テストを受けました。
通常のテストでは問題はありませんでしたが、別のテストで、かくれ認知症と先生から診断を受けました。
脳の海馬のある部分が萎縮してきているそうで、感情起伏と未来予想の欠落だそうです。顔に表情がなくなり、明日のことに楽しみが見いだせない、うつ病に近いような状態です。
まだまだ大丈夫だそうですが、何かの拍子で認知症に移行していくらしいのです。
その予防に一番必要なのは、会話、そしてその中でも、笑うことらしいのです。
その説明を聞いて、そういえば、最近、笑っている顔を見ていないことに気がつきました。父がいる頃はよく笑っていたものです。お店をしていて、よくしゃべっていた人が、高齢になって無口になるのが良くないそうです。
そういえば、最近、繰り返し電話がかかってきたなぁ~。たまにパニクッって電話があるなぁ~。とか「怖い怖い」とよく言っているなぁ~と思い当たりました。
確執のある母への対応に、深く反省
笑うことは、大切です。
しかし普段、笑うとなるとなかなか難しいことです。
母がかくれ認知症と診断されたことを、息子に話をしたら、私が母に「冷たくあしらっている時があるもんなぁ~」とズバリ言われてしまいました。
それは、一番してはいけないことではないか? とはたと気がつきました。
親が子供に、表情のない顔で褒めることと同じではないかと思ったのです。
それならば、ややこしい社会面の話や、料理の作り方の話をする母に対して真剣に返事を返してくれる夫の方が、ずっとましではないか? とぐっと反省しました。老人は正直です、自分に優しい人だけは忘れないのです。
母との確執の克服こそ、自分の未来を作る気がする
母との確執をもって付き合っている人はたくさん、いらっしゃると思います。
私の場合でも、実は、私より妹の方が母と確執をもっているのではないか? といまさら、気付いたぐらいなのですから、私と母との考え方の違いぐらいたいしたことではないのだと思いました。
そして、残された時間を大切にしようと思います。
ケンカ別れほど心残りなことはありません。これからは、つまらない話でも聞いて、しょうもないことでもマメに話をして、少しでも笑いに変えたいと思います。
母の老後を見つめていくことは、今後の私の老後のあり方になると思うのです。
ちなみに、、
私が、祖母と母の血を引いているのは間違いありません(当たり前ですが)。
それを踏まえて、いろいろと注意しています。
衣食住で言えば、特に食です。
糖分に気をつけているのは、もちろんですが、母のように変形性膝関節症と骨粗しょう症にならないために、骨粗しょう症の薬と大豆からつくられたエクエルも現在飲み続けています。