母との確執、最期の確執の解き方!・・・娘としてできることとは?
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生きてきた過程
私は、人には決められた人生があって決められた道を生きていると思っています。
人にはそれぞれの考え方があり、誰ひとりとして同じ考えはなく人生も違います。人を羨ましがっても、過去の人生を悔いても1日1日を生きて行くだけで前に進むほかありません。
おばあちゃん子で生きてきた私には、祖母の考え、道徳心が染みついています。
終末の考え方
祖母の考えが、根底にあり人生を生きてきて、その上で過ぎてきた年月の中で、人生の指針となるような素晴らしい方と出会い、いろんな事を教わり成長できたと思っています。
祖母は、宗教家ではありませんが、慈愛に満ちた人で近所によく出かけ、いろんな人と話をし、人との縁を大切にし、花を愛し自然の中で生き、自然のような人でした。
そして、死に対しても自然に受け入れているような人で、繰り返し私に、もし、この世から、いなくなっても身近にいて見守っているからと始終、話してくれました。
身の周りのこまごまとした物も片付けて、タンスの引き出しの整理も繰り返ししては見せてくれました。死を怖がる人ではありませんでした。
実際に、急に亡くなってしまい、私はなかなか、現実を受け入れることはできませんでした。
母の人生
母との1番の確執を考えた時に、その大きな違いは、ものごとの考え方の違いでした。
大切な生き方の原点に母との確執があれば、母との関係はつまらないものです。
多くの方は育った過程から幼い頃の主従関係に苦しめられ大変な思いをされていることと思います。母は、幼い頃に自分の母を亡くし、周りの大人に神経を使い生きてきた人です。
神経質で、利己的で、自分の物差しで人を判断します。
母の人生で1番の幸せだったことは、父と出会えたことでしょう。父の庇護の元、十分に幸せだったと思います。
女性としては、甘え上手で朗らかな人で、憎めない得な人です。どちらかといえば私と正反対です。
娘としてできる最後とは?
年齢とともに、母と娘のいろいろなことは緩和されていきますが、年老いた母に対して、優しくできない心の葛藤は相当なストレスになります。
娘だから許されること。とは何でしょうか?
せめて、これからの人生を寄り添うことですが、これができないのです。やはり血を分けた親子というしかありません。
考え方が、違うばかりに自然と言葉はきつくなり、年老いていく母を責めてしまっているのです。そして、いつの間にか、自分の考えを押し付け、主従関係を作ろうとしています。
確執から解き放たれる時が別れの時などと思うことのないように、手探りの日々です。
人は、自分自身の生き方に寄り添ってくれる人、優しく諭してくれる人を求めていると思います。人生で、ただ一人、出会った母、母をなくしては自分の存在はありません。
その運命の素晴らしさを知り、今後は母に少しでも寄り添い、母を知り本当の私を知ってほしいと思います。甘え下手な娘だということも。
生き方というものは本当に難しいものです。