50代主婦のファッション・整理収納・ダイエットブログ:いちごのライフスタイル

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50代になってもまだ、何かにトライしていたい〜12年間の手話サークル活動を振り返ってみて

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手話サークルOB会の楽しい仲間たち

手話のサークルで十数年間を一緒に頑張った友達と、久しぶりに会って楽しい時間を過ごしました。それは、年に数回会う、元手話サークルの仲間です。幼友達とは、マメに会って話をしていますが、過去の十数年間だけ密着した仲間とは、また違った空気で時間を忘れるほど語らうことができます。この仲間は、年齢層が、40代から70代と幅が広くて人間的に深みがあって温かい、それでいて重くない間柄です。それが本当にありがたいと最近、強く思っています。縦でも横でもなく自然に生き方を教えてくれる関係です。

 

12年間の手話時代

その仲間というか、友達は、十数年間を手話という組織の中で戦ってきた仲間です。組織とか、戦ってきた仲間というと、いささかオーバーな気もしますが、10数年前に私が手話に携わった頃は、以前にも紹介したように、まだまだ、手話という言語や、聞こえない人への理解も乏しい時代でした。

15ichie.hatenablog.jp

 

時代だったと言っても、たかだか20年ほど前のことで、そう、昔のことではないのですが、携帯という通信システムがない頃というのは、聞こえない人にとって、情報は乏しく、特に高齢者の方々にとってその不安は大きかっただろうと思います。

 

その時に、聞こえない方の入所できる施設建設建立のための募金活動をしたのです。街頭募金活動、イベント開催、バザーなど、必死の思いで活動しました。

15ichie.hatenablog.jp

手話サークル内でも、手話そっちのけで、お金集めに奔走したものです。手話サークルでの10数年間の期間というのは、まさしく、その聞こえない方々の人権を勝ち取るための時間であって、そのための労力は大変なものでした。

 

聴覚障害者の情報不足

そして、施設建設だけではなく、聞こえないという情報不足からによる不安を取り除くために、聞こえない人と手話サークルからの代表者が集まって繰り返し会議も開かれてきました。

 

今では、普通に見かける電車内のドア付近の駅表示の字幕にテレビの字幕など、聞こえない方へのサポートは目を見張るほど進化しました。

 

ただ、最近の自然災害の多さは、私にとっても脅威となってきました。突然の出来事にどう、対処していくのかは、今後の大きな課題だと思います。阪神大震災では、本当に大変だっただろうと、その後の聞こえない方が受けた被災の様子をテレビの番組で知りました。

 

12年間で手話サークルを卒業

手話を始めて、12年後に手話のサークルを辞めました。身についた手話を忘れた訳でもなく、嫌になったわけでもなく辞めてしまったので、自分自身、気持ちの整理もつきませんでした。

 

しかし、今になってみると施設建設活動が一段落して燃え尽きてしまったというのが、現在の心境です。やめてからの私は、燃え尽き症候群のようでもあり、ホッとしたような感覚もあり、また本当の自分を取り戻そうとしている自分もいました。

 

手話サークルや活動を生活の中心として生活をしていた私は、満足な生活を送っていたとは言えませんでした。今考えると息子は自然と放任主義になっていました。

 

何かに取りつかれていたような感覚にも、のちに襲われました。体育会系から、本来の文系の自分に戻ってみると不思議と落ち着いたように思いました。ふと思い出す時に、いつも第2の青春だったんだなぁ~と懐かしく思うのです。

 

チャレンジしたい気持ち

仲間と集まれば、当初はその当時の話題で盛り上がりましたが、最近は、自分たちの近況報告から始まり、個々のまた違った、新しいことを始めたという話を聞きます。すると妙に刺激されて、帰宅してから気が焦る気分にひたってしまうのです。

 

あの時、みんな、あんなに頑張っていて魅力や力や能力が各自豊富だったのだから、年齢を重ねても当然いろんなことにチャレンジができるのも当然です。私もまた別な何かができるのではないかと思ってしまうのです。さて、何ができるのかはわかりませんが、何かにチャレンジしたい気持ちはなくさないようにと思っています。

 

平凡ながら、それでも何かにトライしたい

実際には、現在は結構、時間が無くて、というか、昔のように時間にバタバタする勇気が私には無くなっているのだと思います。

 

以前は仕事をフルにしながら、家庭、子育て、夫の事、そして予定も入れながら、その当時は頭や体がフル回転していました。

その上にストレスの切り替えも上手だったと思います。

 

その後、父の介護や看取り、そして現在は、母との時間のやりとりもあって早くも守りにはいってしまいました。芸風で言うなら、適当なネタを繰り返しているおもろないやつって感じがします。

 

この平凡で普通の生活こそ、ありがたいけど、できることなら何か、ひとつやってみたい。今は、思いつかないけれど、何か新しいことにチャレンジできればと思います。なにか、初めて行動することは、勇気がいるけれども、思いめぐらすだけでも楽しい。さて、私になにができるのか? なにがしたいのか? と自分に、毎日、問うてみる私です。けれども、それだけでも前向きな自分にエライと思っています。

 

無理に進化することもない

過去の手話の仲間たちは、いまでもいろんなことに挑戦して、なお自分らしさを発揮しているように思います。手話サークル時代は、その活動だけに必死で、お互いの良さも性格もそんなに理解できていなかったと思うのです。

 

個々に魅力があって本当にすごいなということに今頃、知るなんて…驚きでいっぱいです。久しぶりに会うたびに成長している仲間、本当に年月とともに魅力的な女性になっていて、ちょっと私も焦ってしまいます。

 

しかし、現在はこの成長のなさ、変わらないのも愛きょうかと、自分を納得させています。ゆっくりでも少しでも。自分も成長していこうと決心したしだいです。さっそく、思いついたこと。明日、クローゼットに入れ込んでいるあるものを出してきてみよう。一度、人生を振り返ってみることもいいことかもしれません。