人間関係の断捨離は難しい?
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たて、よこ、ななめの人間関係
たくさんの友達を作って、交流して遊んで、メールして、連絡してという年代は、終わったなと強く感じました。
- 体力がもたない
- 経済力が続かない
- 家庭の事情が許してくれない
そもそも、楽しくなければ、続かないということに気付いたからです。
上野千鶴子さんの「おひとりさまの老後」をまっしぐらに走っている気がします。
本は発売されると同時に読み、なるほどと感服していましたが、この年代になると、漠然とわかってくるものです。
たての関係の親は、いなくなり、子供は手を離れ、よこの関係の夫は風に流されて生きています。
そして自然と身体は自由と解放を求め、楽しい世界にだけ我が身を置いておきたい。
無理はしたくない。無理に笑いたくないし、好きなものを食べ、好きなものに囲まれたいと思うようになりました。
ひとりになることは、自然にかえることだったのです。
友達も変わっていく
生活して生きてきた中で、たくさんの方と知り合い、たくさんの方と友達になりましたが、日々とともに、変化して現在に至っています。
サークル時代の友達がいます、現在いっしょにボランティア活動している友達がいます。高校時代からの旧友もいます。
このあたりは恵まれていると実感しています。
いつまで、この友達と過ごすことができるのか? とふいに思うことがあります。
年齢とともに、自分の考え、個々の考え方が違ってきています。
あれ? こんなふうに思っていたんだ…とか、こんなことを言い切れるんだ…と突然の変化に驚いていましたが、それが環境や状況によって当然なんだと受け入れることができるようになりました。
やっと、おとなになったようです。
断捨離
人間関係の断捨離は、あせらずとも自然にやってくるということがわかりました。
数年前に、ドジでこけて入院した時は、恥ずかしくて誰にも連絡できず、あとで旧友から叱られました。さて、本当に相談できる友達は、何人いますか?
私は、たぶん旧友には相談するでしょう。
命の期限が迫られたら、誰に相談して打ち明けることができますか。
きっと、それは、人間関係の断捨離が終わり、残った人だけに打ち明けることができるのだと思います。
終活としての人間関係
終活に興味をもって考えていられる間は、まだまだ気持ちにゆとりがあるのかもわかりません。自分の老後をお願いする、または、最後の管理をお願いできる人間関係となると、相当、お互いの覚悟が必要になります。金銭問題から、命の選択まで、その負担はたいへんです。
本当の人間関係
人生の半分以上の年月が過ぎてしまいました。これからの残りの時間は、自分のために使うべきです。好きな友達とすきなように時間をつかうことが大切です。
近所のおばあちゃんが嘆いていました。
近くのディサービスは知ってる人ばかりで本音で話やグチが言えない、市の担当の人も顔見知りで、しゃべりにくいし、遠くのディサービスに行ったら、知らん人ばかりで気兼ねする。
人間関係の本質を教えてもらった気がしました。